企業は社風を変えられるのか(番外)~ダーウィンの「種の起源」

ダーウィンの言葉?
先日友人から、「いや~~、恥ずかしい!! 生き残る者は、最も強い者でも最も賢い者でもない、変化できる者なんだ! 同じことの繰り返しじゃなく、常に変化し続けないと成長しないぞ!って、若い社員に発破かけてたんだけど、それってダーウィンの言葉じゃないらしいじゃない。なに偉そうに言ってたんだろ!」と言われました。
かつて私も、それをダーウィンの言葉と思い込み、「やっぱり変わることができないと、生き残っていけないよね。企業も変わらないとね」とか言っていたことがあります。しかし数年前、自民党が4コマ漫画にダーウィンを模したキャラクターを登場させ、この言葉を「ダーウィンも言ってる」とツイッターで発信したところ、「それはダーウィンの言葉ではない」、「その進化論の解釈は間違っている」と炎上し、初めて自分の理解が間違っていることに気づきました。彼の恥ずかしさ、良くわかります。
二人で、「やはり原文に当たるのが一番、『種の起源』を英語の原書で読もう!」という話で盛り上がったものの、結構なボリュームがあることがわかり、すぐにギブアップ。
それでも、ダーウィンが本当は何と言ったのか知りたくてネットで探していると、「ダーウィンは、”生き残る種とは、最も強い者ではない。最も知的な者でもない。それは、変化に最もよく適応した者である”とは言ったが、自ら変化した者とは言っていない」という識者の見解に辿り着きました。
そもそも進化論は、「生物は環境に合うように進化してきたのではなく、たまたま持って生まれた形質が環境に合っていたから生き残った。そして、環境により適応した個体が増え、それらが子孫を残していくということが進化につながる。つまり、変化の結果として生き残ることはあっても、生き残ろうとして変化していくものではない」ということのようです。
東京大大学院の佐倉統教授は、進化論を「生物の同じ種の中でも個体によって形質にばらつきがある。例えば、背の高いものの方が有利だとすれば、長生きをしたり子孫をたくさん残したりすることができる。環境により適応した形質を持つ個体が増えていき、新しい種が生じるといった進化につながっていく」と説明しています。
つまり、生物が自ら進化してきたように見えるのは結果論にすぎないわけです。生物は、環境に合うように進化してきたのではなく、たまたま持って生まれた形質や突然変異した者が、環境に適応していたから生き残ったということですね。
『種の起源』の原書読破には挫折したものの、いくつかのそれらしき文章は見つけました。しかし、それらの多くは、ダーウィンの言葉をわかりやすく言い換えただけであったり、意訳したものであったりと、実際のダーウィンの言葉にはなかなか辿り着けません。そんな中、こんな文章がありました。
”It is not the most intellectual of the species that survives; it is not the strongest that survives; but the species that survives is the one that is able to adapt to and to adjust best to the changing environment in which it finds itself”
そこで、これが本当に原文通りなのかどうかを、今、話題のChat GPTで質問してみます。すると下記のような回答が得られました。
『この文はしばしばチャールズ・ダーウィンに帰されますが、ダーウィンの著作からの直接引用ではありません。それでも、この文はダーウィンの自然選択理論に合致しており、最も適応し、繁殖が成功する生物こそが最も優れた生物であると提唱しています。
変化する環境に適応し調整する能力は、個々の生物だけでなく、全体の種の生存にとって重要です。常に変化する世界では、新しい環境に適応できない生物は、食物、住処、またはパートナーを見つけるのに苦労し、最終的には絶滅する可能性があります。
環境の変化に成功して適応した種の例には、さまざまな種類の種子を食べるために進化した嘴の形が異なる鳥や、抗生物質に耐性を発展させた細菌が含まれます。逆に、環境の変化に適応できなかった種には、人間による生息地の喪失や捕食によって絶滅したドードーなどがあります。
全体的に、適応し調整する能力は、個々の生物だけでなく、全体の種の生存にとって重要な要素であり、これは地球上の生命の歴史の中で何度も証明されています。』
どうやら、この文章もダーウィンの書いたものではないようですが、こんな答えをくれるとは、Chat GPT、すごいです。
この答えがすべて正しいかどうかはとりあえず置いといて、これほど流暢に答えるとは驚きです。大学院の論文試験でChat GPTの解答が合格点をもらえたという話にもありますが、こういうのを見ていると、いつかはAIが人間の知能を超えて「シンギュラリティ」を迎え、ターミネーターのような世界が来るのかもと思ってしまいます。
環境に適合するか、環境を変えるか
自然界で生き残るのは、たまたま環境に適合したものであり、必死に頑張って、生物が環境に適合しようと変わり続けた結果ではない。どんなに個体が頑張ったとしても、自分が身を置いている環境に適合していなければ、その個体は無力。
ということは、私や私の友人が勘違いしていた意味とは全く逆ですね。どんなにがんばってもなるようにしかならないということか。。。
そう考えると、「俺一人が頑張ってもさ~、会社は変わらないよ」というサラリーマンの愚痴も正しいように思えてきます。何の権限も持たないサラリーマンであれば、所属する企業の環境を変えることは難しいですから。
しかし、人間は、所属する組織の環境が不満であれば、より自分に適した環境に移ることができるはずです。愚痴を言うだけで行動しないのは、自分が置かれた現状に、ある意味、満足している、でも文句だけは言うということでしょうか。
サラリーマンと違って、経営者は、企業の環境を作ったり自ら変えたりすることができます。
連日話題になっているWorld Baseball Classic。栗山監督が、大谷、ダルビッシュ、ヌートバーといった選手を日本代表に選出しました。ゲームを観戦していても、これまでの代表チームと雰囲気がずいぶん変わったように感じませんか。
栗山監督の手腕がどの程度なのか私にはわかりませんが、違う環境で育った人や、異なる経験や考えを持った人を複数投入すれば、組織の雰囲気は変わります。プロ野球と比較して、(悪い意味で)はるかに多様な人材がいる民間企業であっても、こうした人材を各部署の責任者として配置すれば、企業の環境(社風)は変わります。
地球や宇宙の環境を変えることは神様でもなければ不可能でしょうが、自分がリスクや責任を持つ範囲の世界であれば、その世界は変えることができるのです。
同じ様に、企業で働く社員たちは、転職や起業によって自分が働く環境を変えることが出来ます。
働く環境や企業に魅力がなくなり、社員が去れば、当然ですがその企業は成長どころか存続すらできません。
「企業を存続、成長させるために!」と、風土改革プロジェクトのリーダーに総務部長を任命したり、優秀な人材が退社しても、その理由を理解しないような経営者は、世の中や自社が置かれている環境の変化に、自分が適応できているかどうか、今一度考えた方が良いかもしれませんね。