中小企業のグローバル人材戦略 第5回

東南アジアへの進出ラッシュ
1990年代初期はまだ中国への投資は少なく、日系企業の進出ターゲットは、タイ、マレーシア、インドネシアといった東南アジア諸国が中心でした。投資理由はさまざまですが、Schaaperが主張する「国内の労働者のリストラができないことが海外の工場へ日本人を派遣した理由」というわけではなかったはずです。
円高の影響で海外に製造拠点の一部を移さざるを得なくなったことは確かですが、それだけではなく、東南アジアでは投資促進のための規制緩和により、日本資本主導で子会社や製造拠点が進出できるようになりました。これにより、工業団地や進出支援等のインフラが整備され、現地子会社の立ち上げ・運営のために日本人が大量に派遣されたのです。子会社に未だに駐在員が多いのは、当時の経営スタイルが、現在でもそれほど変わっていないことが理由ではないかと考えます。
多くの日本企業が本格的に海外進出を始めたのは1990年代でした。欧米のグローバル企業と比較すると、日本企業の海外進出の歴史はまだ30年程度でしかありません。当時は進出した国で部品や製造機械を調達することが難しく、現地マネジメントのレベルも今とは比べ物にならないほど低いものでした。そのため、調達、設計、製造、品質保証・管理、物流まで、全ての行程に日本人が入り込んでいました。日本と同レベルの製品を現地生産すべく、多くの日本人派遣者が日本式経営を目指して現地の子会社で働いていたわけです。
1990年代の初期というと、日本ではバブル崩壊が始まっていたころです。しかし、このころ東南アジアの景気は絶好調で、駐在員のコストは殆ど問題にされませんでした。このため工場を立ち上げに際し、現地法人に駐在する日本人や日本からの派遣者を含めると50名以上の日本人が働いていた企業もありました。
1990年頃の日本人駐在員1名にかかるコストは、アメリカ人同僚と比較すると約1.4倍、イギリス人の2.9倍、台湾人の3.1倍、マレーシア人の4.9倍、そして、インドネシア人の10倍にも及んでいました。(安室憲一[1992] )
当時、現地従業員の報酬と日本人駐在員の報酬には大きな開きがありました。ただ、現地と日本とのマネジメントレベルには、まだ大きな違いがあったことも事実です。そのような状況の現地に日本式経営を根付かせるには、どうしても日本人による立ち上げが必要だったという事情もあるはずです。実際に、当時現地に進出した日本企業には、「日本人駐在員はコストがかかりすぎるから減らそう」という考え方は殆どありませんでした。むしろ外国人ビザの規制さえなければ、景気が悪く市場が縮小している日本から、成長著しいアジアにもっと多くの人材を出したいというのが企業の本音であったはずです。
日本人駐在の費用対効果
海外子会社に於ける幹部の現地化は、費用対効果を考えると当然重要です。社員の現地赴任は、コストだけでなく、駐在員や家族にとっても大きな負担となります。実際に多くの欧米企業は、現地に本国人が駐在することは、その負担に見合うリターンが期待できないとして、幹部の現地化を推進してきました。しかし、日本企業は未だに幹部を現地化することに躊躇しています。 (Belderbos & Heijltjes [2005])
私がインドネシアに駐在した30年前と比較して、未だに海外子会社の幹部として日本人が数多く駐在していることには違和感があります。台湾やシンガポールはもちろんのこと、タイやインドネシアにも欧米の名門大学院でMBAを取得した優秀な経営人材はたくさんいます。今では現地の日系工場で教育を受け、日本式の教育を受けた経営人材も数多く存在するはずです。しかし、日本を代表する一部の大企業を除いて、現地人材がマネジメントとして活躍する企業はまだそれほど多くはないのが現実です。
日系企業が、海外子会社の幹部現地化を躊躇する理由は何でしょうか。アメリカや欧州、ロシアといった国々では、既に半数以上の日系企業が子会社の社長を現地化しています。アジアの子会社は、その国自体をターゲット市場にするというよりも、子会社を輸出の製造拠点とする企業が多いことも現地化が遅れている理由かもしれません。投資対効果だけでなく、現地従業員のモチベーションを向上するという面から考えても、子会社幹部の現地化推進は喫緊の課題であると言えます。
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